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第一期 初めての出会い


  私が初めてトールペイントというものを知ったのは確か『私のカントリー』という『美しい部屋』の
別冊雑誌の創刊号だったと思います。当時私は2人の子の世話に追われ1日のほとんどを家事と
育児に費やすという毎日でした。今思うとそれはそれで大変充実した時だったのですが、
もともとクラフト大好き人間の私にとって「何かを作りたい!」という衝動は押さえられませんでした。

まさに その頃、創刊された『私のカントリー』は神様からのプレゼントのような気さえしたものです。
それまではせいぜい子供服や小物をちくちく縫ったりする程度のものでしたが、とうとう私の
クラフト熱にぼっと火がついてしまいました。それからは木工、ステンシル、ドライフラワー、
本格的テディベア作り、ガーデニングとそれらに関する本や材料もどんどん増えていきましたが
その中で一番はまったのがトールペイントでした。

当時のトールペイントはべた塗り中心の簡単なデザインが主流でデザインもカントリー調のものが
多かったと思います。やっと見つけたトールペイント教室の門をたたいてみましたが、お子さま連れでは・・と断られ
それなら独学でやってみようと通販で洋書を取り寄せ英文を辞書で訳しながら勉強しました。
(当時は日本語のトールペイントの本はほとんど皆無に近く絵の具も1本300円以上したと思います。)

第二期 熱中時代


 第一期の途中で住み慣れた東京から夫の転勤で三重県桑名市というところに
引っ越しました。「その手は桑名の焼き蛤」しか知らない場所でしたが長く住むことに
なるのだろうと8カ月後にマイホームを購入しました。(この家はその後私のギャラリー
と化すのですが・・)ニュータウンということもあって町も学校もきれいなうえ同世代の
お友達もどんどんできてとても楽しい子育て時代を過ごす事ができました。
同時期に世の中のカントリーブームが白熱し、私もその波に乗って手作り仲間と
幾度と フリーマーケット などもやりました。自宅のガレージを1日自宅ショップなんかにして
チラシ作って配ったり お店屋さんごっこのようで 楽しかったですね。

  当時は一種の走りだったので ものめずらしさでお客様が開店前から ずら〜っと並んでくれたりしました。
今思うと若気の至りで、しようもないものまで買っていただいたりして お恥ずかしい限りです。
 その後 私のトールペイントの独学修行を助けてもらったのが、玄関に飾る
ネームプレート販売です。ある日お友達に見せたのがきっかけで描くようになりました。
これも今 振り返ると本当に拙いものでしたが1枚3000円というお手頃価格と、
どんな絵柄でもご希望に合わせて描きますよというはったりがうけたのか、
次から次へと注文がきて100枚以上は描いたと思います。

現在10年以上たっても律儀にまだお玄関前に飾ってくれてるお宅に出会うと敬礼を
するとともに夜中、密かに持ち逃げしてしまいたい衝動にもかられます。それでも今こうして
ささやかなトールペインターとして自立できているのは、この頃支援をしてくださった
この方たちのおかげです。貧乏ペインターの絵の具代となり描き続けることができました。

そうそう忘れてはいけないのは夫と子供たちです。夫は器用な人で休日にあれこれと
木工作品を作ってくれたり、フリマの荷物運び、そして新築の家にどんどん釘を打ち
作品を飾る私に文句1つ言わず力を貸してくれました。それから子供達はというと
ぎゃ〜ぎゃ〜泣きわめいていても、ひたすらもの作りを続行する母親にあきれ、
たくましく我慢強い人間に?育ってくれました(笑)。

そこそこ迷惑もかけたかもしれませんが この家族たちは今の私を喜んでいてくれていると
信じているわけです。

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第三期 傍観期間


 独学ペインターは相変わらずでした。他にもやりたいことはたくさんあったのでそれだけに
集中することはできませんでした。しかし私の気持ちとは裏腹に当時はトールペイント教室
最盛期だったはずです。あちこちで作品展やフリマが流行ってきて習っている人も
多くいました。私の2人の子供たちも既に幼稚園や小学校に行っていましたので
自由時間は十分とれましたがあえて習いに行くことはしませんでした(近くに習いたいと
思う教室がなかったのも原因ですが)

又友人たちから「トールペイントやってみたいんだけど 都築さん教室やってくれない?」
と嬉しいお誘いをいただいても教室を始めたら中途半端でいられなくなるしとの怠け心から
トールだけに絞る決心がつきませんでした。又その頃私が知っていたトールペイントは
どっぷりはまりたいと思えるようなものではなかったのでしばし傍観していた次第です。
(本当は既にすばらしい作品は世の中にありましたが情報不足で気がつかなかった
というのが実際です)

 その代わりに様々なクラフトやガーデニングにはまり主婦雑誌の
作品募集欄やコンテスト
などにも参加し受賞したりして気をよくしていました。

第四期  再び熱中時代から現在に至る


 家庭ではパソコンが普及してきました。我が家は主人がメカ好き人間なので
アナログ人間の私もご近所の主婦友達よりいくらか早めにネットサーフィンを始め
トールペイントに関する情報も収集していました。それと実は2人の方にだけに
教え始めていました。教室はしないと思っていた私がなぜ それに至ったかというと
ある日書店で雑誌の読者コーナーを立ち読みしていた時に「私はトールペイントを
習いたいのですが障害の子供を持っているためどのお教室でも断られました。でも
どうしても習いたいのです。どなたか教えてください」という投書に目がとまりました。
たまたまその方の住所が隣町だったのでとても気になりましたがその日は家に帰りました。

 しかし数日たっても その方のことが頭から離れず再度書店に行き連絡先をメモり、
思い切ってこんな私で良かったら・・とお手紙を出してみました。するとぜひ子供連れで
習いに行きたいとのお返事があり半分ボランティアで始めたトールペイント教室でした。
密かにやっていたのですが昔の手作り仲間の1人がそれを知り、自分も入れて
ほしいと2人の生徒さんができたわけです。今思えばこれが私のトールライフにつかる
スタートでした。1、2年こんな調子で本当にほそ〜ぼそ、こそこそやっていた
教室だったんですが、続けているうちにトールペイントの奥深さを反対に教えてもらい、
インターネットからも自分が傍観していた時期に日本のトールペイントも技術的に
どんどんアップし既にアートと言われるような作品まで登場していたことがわかり
愕然としました。

正直なところそれまで、トールペイントは高級塗り絵みたいなもので一般の絵画に
比べてランク下みたいな観念を持っていました。それがと〜んでもない!
もうクラフトの域を超えていて、これはデコラティブペインティング
(装飾絵画)であり芸術だ〜!!と暴走し始めました。それからの私は
あらゆるセミナーに参加し外人作家さんの手ほどきを受けたりこれはという
先生を見つけ少しの間でしたが通いつつ一般のトール教室というのを
見せていただきました。

又技術検定やコンテストにも身の程知らずにも出品したりして短期間のうちに
とてもたくさんの作品を描き勉強しました。その間、自分でも気がつかないうちに
他のクラフトからはほとんど足を洗いトール一筋になっていったようです。しばらくして
自分に自信がついた時最後のフリマ(この時はガーデニングブームで友人といっしょに
何千という花の苗を売りました)をし、それに合わせて、本格的に「アトリエくろすの木 
デコラティブペインティング教室」として生徒さんを募集をしました。その時に何人か
集まっていただき1クラス作ったのが10年前ぐらいです。それが出張教室や夜の
自宅教室も含め6クラスになり、今に至ります。

 こうやって改めて自分を振り返ってみると多くの人との出会いによって
導かれてきたクラフト人生?だなと思わされます。それだからこそ楽しさ、
喜びがあったのだと思います。もちろん良いことばかりでなくつまづくことも
いろいろありましたが、今になってしまえばすべては祝福でした。最後に
私はクリスチャン(プロテスタント教会員)であるということについてお話します。
これについては「アトリエくろすの木の由来」に書かせていただきます。

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「アトリエくろすの木の由来」


 私の主催する教室は「アトリエくろすの木」と言います。これは、「3本の木」という
絵本から発案した名前です。お時間のある方は、「3本の木」というワードをクリックして
あらすじですが、ぜひ読んでみて下さい。私はこの3本めの木(十字架イコールくろすの木)
のようになりたいと思っています。もともとそんな器でもありませんし、
「へ〜 あなたがクリスチャンなの?」なんて言われることもある私です。
でも神様はいろいろな人間をお造りになりました。私たち人間は神様が
造られたものの中で一番尊い作品なのです。聖書の中にも「私の目には
あなたは高価で尊い」と記されています。私は自分にないものを他の方と
比べてうらやむのでなく、私の賜物(神様がくださった能力)で証しをして
いきたいと願っています。

 私がクリスチャンになった経過はそれほど劇的なものでもありません。
しかしだからこそ劇的なのです。どういうことかというと私は24歳になるまで
この世に神様なんていないと思い込んでいた人間です。姉が教会に
行くようになっても、親友が聖書の話を語っても耳を傾けることをしませんでした。
そんな超頑固な人間に神様はいとも簡単に信仰というものを与えたのです。
まるで焼け石に水がしみ通るように。

 クリスチャン生活を始め毎週家族で教会に通っているのは本当に祝福です。
よく毎週、飽きもせず行くな〜と思う方もいるかもしれませんが、
これは私の中ではあたりまえのことになっています。
どう表現して良いか悩みますが・・・。そう、小さい子供が夕方になったら
自分の家へ帰りますよね。そんなイメージです。

 私が尊敬するクリスチャンの先輩に神奈川県在住の森田百合子さんという
ご婦人がいらしゃいました。彼女は私たち夫婦が教会でお世話になるように
なってから本当によくフォーローしてくださいました。いつも元気でパワフルで
人のお世話が大好きな方でした。この方が52歳の若さで主のもとに旅立った時は
私たちのみならず多くの方が「主よなぜですか?」とヨブのように祈ったことでしょう。
病室で最後に森田さんと会った時に彼女は痩せた手で私の手を握り
「昌子さん、アトリエくろすの木っていい名前よね〜、がんばってね」って
言ってくださいました。

私のペインティングライフの第二期に「ネームプレート販売」のことをお話しましたが
彼女はこんなことを始めた私を遠くからも応援してくれてお友達にさしあげたいからと
何枚も何枚も注文してくれたのです。使命とは命を使うと書きますが彼女は
まさしく使命を全うして短い人生を駆け抜けていった愛にあふれる方でした。
ですから私はけっしてかっこいいとは言えない「アトリエくろすの木」という名称
をずっと使い続けて行こうと思っているのです。